まずは今回朗読した「2階の窓から毎日監視される」の文章から。
こちらのお話は
この動画で紹介しています。
では本文
私の町にある住宅街の1画に、2019年6月に火災で焼け焦げたアパートがあります。火災がなぜ起こったのかは誰にもわかりませんが、アパートは修理もできないほどで、来年には取り壊される、という予定もあるそうです。ひどい火事だったので、近くの建物にも延焼していたほど。運よく誰も亡くなりませんでしたが、3家族が家を失ってしまいました。建物の正面は完全に焼けてしまいましたが、小さな駐車場と野球場から建物の裏側を見ることができます。アパートの裏は比較的被害が少なく、ここだけを見れば火事があったことはわかりません。
私は大学生のとき、このアパートで開かれるパーティーによく出席していました。信じられないほど建物が古いこと以外には、特に「奇妙な」ことは何も感じませんでした。一度パーティーの最中にガスの臭いがしたので、みんなで避難しましたが、それも緊急事態や事故ではありません。今でも私が散歩に行くときは、毎晩このアパートの前を通り過ぎます。
昨日、私は夕方の散歩に出かけました。アパートの前を通ったとき、何かおかしなものを感じたのです。アパート裏の駐車場では、いつものように10歳から15歳くらいの2人の子供がサッカーボールを蹴りあっています。通り過ぎて手を振り、ふとアパートのほうに目をやると、2階のデッキにある窓が目に入りました。窓をのぞき込むと暗闇の中に、2人の子供を見つめる人間のシルエットがありました。男性か女性かも分からず、顔の特徴も見えないのでですが、窓から子供たちを見つめている人のシルエットだということだけはわかりました。
2人の子供は私が毎日散歩しているのを知っているので、「あそこの窓に誰かいなかった?」と聞いてみました。しかし子供たちと一緒に窓を見た時には、なにも見えなくなっていたのです。
「ああ、ごめんなさい。たぶん私の見間違いね。だれもあのアパートに入ることはできないし、ドアも完全に閉まっているもの。私が言ったことは忘れてちょうだい。」なんとなく何を見たのかはわかっていましたが、私は子供たちを怖がらせたくありませんでした。
そこで私は2階の窓にいる謎の人物の写真を撮ろうと思い、いつものようにアパートの前を通り過ぎ、サッカーをしている子どもたちに手を振ったあと、緊張しながらアパートを見ていました。しかしやはり2階の窓には何も見えません。しばらくそこで待ち、あきらめて帰ろうとしたとき、私は見たのです。今度は3階の窓から子供たちを見ている姿を。シルエットから山高帽をかぶった男性のようでしたが、顔の特徴はまったくわかりませんでした。
結局今だれも住んでいないアパートには、入ることさえもできないので、本当に男性がそこにいたのかは確かめようがありません。
なぜ彼は子供たちを見ているのでしょうか?なぜ彼はそこにいるのでしょうか?
私には火事が何かの原因であったとしか思えないのです。
実はこのお話はオチがありません。
まとめちゃうと「誰もいないはずの建物に影があった」という話で、
特に怖くはないですよね。
日本の怪談なら、影を見たことでとり憑かれて、霊能力者が出てきて、
さらに影が実体化して、実はこの建物には呪われた歴史が…!
なんて展開になりそうですが、
これはほぼ見ただけ。
特に害も加えられていません。
この手のお話は海外の怖い話にめちゃくちゃ多いです。
「こういう影を見た」
「こういう夢を見た」
「こういう音を聞いた」
という報告だけの話がたくさんあります。
何が怖いんだろう…と思うのですが、
キリスト教文化らしい話でもあると思います。
キリスト教は「啓示」を大事にするので、
この物事には何か理由があるのに違いない!
と、勝手にいろんなことに結び付けちゃうんですね。
あと、不安の種類が違う気もします。
日本の怪談で恐れられるのは「祟り」。
霊や怪異にとり憑かれて殺される!という恐怖がありますが、
キリスト教圏では祟りより「体験」そのものを恐れている気がします。
見たことが何より怖いので、
その後のことは知っても知らなくてもいい、
って感じですね。
現実主義的な考えだと、恐怖の感じ方も変わるようです。
こちらのお話はこの動画で紹介しています。
ぜひ合わせてお楽しみくださいませ。