魔女の雫

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サリー・アン(アメリカ・ケンタッキー)

Piano

不動産を売ることはそれ自体が冒険です。売り手にとっても買い手にとっても常に驚きに満ちています。しかし、時として家そのものに驚かされることもあるのです。

 

1989年4月、その頃の私は幽霊など信じていませんでした。特にこれといった理由はありません。とにかく信じていなかったのです。しかし、このお話しは本当に起こったことなのです。

 

その春、私は、広大な土地に建つ築200年のイタリア風の美しい屋敷の内覧会を準備していました。私が初めて内覧に行ったときは、その屋敷は改装の真っ最中でした。屋敷のオーナーに案内され、正面玄関を入ると左右に応接間がありました。左はリビングルーム、右は音楽室。音楽室には、美しいアンティークのグランドピアノがおいてありました。

 

大きなダイニングルームの先には、リノベーションされたキッチンとバスルームがあり、それが1階。屋敷の真ん中は吹き抜けになっており、大きく弧を描きながらくるりと3階まで続く階段があります。オーナーと一緒にその螺旋階段を上がると、そこは窓に囲まれ、周囲の広大な緑や農場が見渡せました。

 

2階にあるベッドルームは5つで、進み具合に差はありましたが、何れも改装工事中でした。たった一つを除いては。白い縁取りに柔らかな黄色で塗られた6番目のベッドルームは全くの手つかず状態だったのです。オーナーはその部屋だけは手を加えられないのよ、と言いました。別の色で塗りなおしたところで、翌朝には元の黄色い壁が再び顔をのぞかせると。その部屋の温度は季節に関係なく、常に20℃程度前後だそうです。

 

18世紀末、当時のオーナーの息子がその部屋の主であったと聞きました。彼は、この屋敷の幽霊の一人なのとオーナーは言いました。もしあなたもその部屋に足を踏み入れたら、きっとその存在を感じるでしょう。あたかも誰かがそこにいるような穏やかな存在感、しかし、常に見られている様な。私は一刻も早く立ち去りたい気分になりました。それでも、幽霊を信じているわけではありません。

 

オーナーによると、彼女と家族しかいないはずの家なのに、誰かの人影が見えるそうです。

少年と誰かもう一人、または男性が二人だったと。他にも、職人が作業していると、家の至る所で道具がなくなり、二度と見つからないとか、誰もいないはずの2階から何かを引きずる物音や足音が聞こえてくることもしばしばだと。私はもちろん話半分で聞いていました。幽霊など信じていないのですから。

 

「さようなら。とても有意義な時間を過ごせましたよ。」私はオーナーに声を掛け、屋敷を後にしました。実はこの歴史がある唯一無二な物件に興奮し、2週間後の展示会が待ちきれない思いでいっぱいでした。

 

展示会当日は、肌寒くもさわやかな良く晴れた日でした。工具は片づけられ、屋敷は日の光を受けてきらめいていました。見学のお客様たちはキッチン側のドアから入り、手作りのドーナツを味見しつつ、アイスミントティーやコーヒーを飲みながら、内覧の順番を待っていました。私と、もう一人のエージェントとで交互にお客様の案内を行いました。お客様は、次々に呼ばれては屋敷を案内され、見送られながら屋敷を後にしていきました。

 

3時間に及ぶ内覧会の最後に、私はとても感じの良いご婦人を見送りました。見送りのために開けた玄関からは、冷たいそよ風が吹き込み、私はドアを閉じました。キッチンへ向かう途中、何気なく右側に目を向けました。そこには髪をひとまとめにし、シンプルなグレーのドレスを着た若い女性がピアノに向かい腰かけていたのです。

 

大きな暗い瞳には光は宿っておらず、静かに腰をかけ、ただただ鍵盤を見つめているだけなのでした。私は鳥肌が立つのを感じました。付き添いもなく見学しているのかと驚きながら、キッチンに戻り、もう一人のエージェントに声をかけました。

 

「どうして内覧者に付き添ってないの?」

「もう内覧者はいませんよ」と彼は言いました。

「そう…じゃあ正面玄関から入ったのかもね…。」

私はもやもやしながらそう応えました。

「それなら、ご婦人が音楽室で待ってるわよ。」

と言い終えたとき、オーナーが不意に訊ねてきました。

「彼女はどんな感じの女性?」

私がオーナーに、その女性の風貌を説明すると、彼女は笑顔で、

「あなたはサリー・アンに会ったんだわ。」と言いました。

「誰ですって?」私は思わず聞き返しました。

「幽霊よ。」

 

急いで応接間に戻りつつも、うなじの毛は逆立ち、再び鳥肌が立つのを感じました。

音楽室はもぬけの殻でした。リビングルームも同様です。私は階段を駆け上がりました。ベッドルームにも誰もいません。残るは1か所、タワーです。

 

階段を2段抜かしで進み、ドアまでたどり着きました。ドアノブを握ると、高くきしんだ音を立てて扉が開きました。彼女はここにもいませんでした。煙のように消え失せたのです。心臓は高鳴り、階段を下りる私の足は震えていました。ばかばかしい、幽霊なんて信じていないのに。

 

キッチンに戻り、座り込んだ私に、オーナーは濃いコーヒーを差し出してくれました。手はぶるぶると震え、熱い液体が今にも零れそうになりました。オーナーはサリー・アンについて語り始めました。

 

「サリー・アン、その夫と義理の弟、そして8歳になる息子が、この屋敷に元々暮らしていたの。サリー・アンは義理の弟と不倫関係になり、それが夫に見つかってしまった。兄弟は2階の廊下で争い、二人ともその時に負った傷が原因で亡くなったんですって。サリー・アンの息子もその翌年にチフスで亡くなってしまったの。サリーは、その後心労で30歳の若さで亡くなったと言われているわ。彼女は自分が認めたゲストには姿を見せるのよ。とても優しい幽霊だから、彼女は家族の一員のように扱われているのよ。時々、彼女が息子と一緒にいるのを見かけるわ。道具がなくなるのはきっとその子の仕業ね。」

 

私は頭をフル回転させました。とにかく私はサリーには気に入られたようです。

それでもまだ幽霊を信じているわけではありません。

 

オーナーは続けました。「幽霊が誰なのかを知りたくて、霊能者も呼んでみたの。それで、幽霊たちの身元が判明したのよ。家族は全員レキシントン共同墓地に埋葬されているんですって。金属探知機を借りて、屋敷の周りを探すように言われたの。サリーの結婚指輪が見つかるだろうと言われたわ。言われたとおりにしたら、サリーのイニシャルの入った指輪を見つけたの。この引き出しにあるわ。」

 

サイドボードに歩み寄り、引き出しを開けた彼女は、内側にイニシャルの書かれた小さな指輪を取り出しました。息をのんだ私は、腕の毛が逆立つのを感じました。

 

深呼吸をして、いくらか落ち着き、我に返った私は、再びサリー・アンだかなんだか知らないけれど、とにかくそれは私の空想の産物だと思い込もうとしました。ただの古い指輪だ、幽霊なんか信じていないのだから、と。

 

コーヒーを飲み終え、もう一人の代理人と私は帰り支度を始めました。正面玄関に近づいたとき、冷たい風を感じました。再び鳥肌が立ちました。うなじの毛が逆立ち、背筋を冷や汗が流れるのを感じました。ゆっくりと振り返った私の視線の先に、いたのです。サリー・アンが。階段の上で、微笑みながら立っていて私を見ていました。

 

オーナーは、一家は共同墓地に埋葬されていると言いました。あまりにも気になった私は、後日その墓地を訪ねました。一家はそこにいました。全員です。オーナーの言った通りに。それでもまだ、信じきれない私は過去の記録を漁りました。霊能者の話も確認したのです。残されていた写真には窓が写っていました。サリー・アンも、そこにうつっていたのです。

 

これではもう、信じるしかありません。